作家名:筧 忠治(かけひ ちゅうじ)
作品名:自画像(1929)
価 格:お買い上げ済み
詳 細:1929年制作 インク画
作品サイズ 縦19cm×横17cm
額のサイズ 縦44cm×横39cm
裏に直筆ペンサイン有り
状 態:作品、額ともに良好です
【孤高の人『筧 忠治』略歴】 筧忠治は、1908年(明治41年)愛知県一宮市萩原町東宮重に生まれ、8歳で名古屋に転居して以来、2004年(平成16年)94歳で亡くなるまで名古屋市に住んでいました。高等小学校2年生の時に父親を亡くし、厳しい家庭環境の中で画家を志しました。高等小学校を卒業後、愛知県測候所(現・名古屋地方気象台)に勤めます。
彼が本格的に絵の道へ進むきっかけになったのは、16歳の時、当時帝展の若手作家として活躍していた松下春雄との出会いでした。そして、美術研究グループ・サンサシオンの研究所に通うようになります。
しかし、自分の求める方向性との違いを感じた彼は、翌年には中部画壇の先駆者の一人である鈴木不知の名古屋洋画研究所に移りデッサンを学び、そこで目にした画集を通じてレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、デューラー、レンブランドといった画家たちの仕事に大きな影響を受けました。そこも1年半程で辞め、その後はしばらく画壇との交流を絶っていましたが、昭和24年の第3回中部日本美術展に、10年の歳月をかけた大作《虫眼鏡を持てる老母》で衝撃的なデビューを果たします。
しかし、その後2回ほど公募展に出品したのみでまたもや沈黙し、ほとんど独学で自らの絵画世界を追求してきました。 再び作品を発表するようになるには定年を過ぎてからのことで、以来、美術関係者やジャーナリストたちの関心を呼び、その時、マスコミは彼のことを「描き続けた老アマチュア画家」として紹介しました。
平成10年には愛知県刈谷市美術館で初の全貌展が開かれました。
2000年には、岐阜県より「第1回円空大賞」円空賞を受賞しました。
10代から描き続けている
「自画像」は600点以上にもおよび、まるで仁王像を思わせる気迫に満ちた作品群は観る者を圧倒し、“自画像の画家”として高い評価を得ています。「自画像」はインクや木炭、墨などで描かれ、自らの内面までえぐり出すように表現されています。その膨大な作品群には素描と本絵という概念をはるかに超えた真の力がみなぎり、対峙する者を圧倒的な迫力で見据える。 40代から描き始めた
「花」は約560点。80歳前後には名作
「猫」シリーズを生みました。
彼の生きてきた時代は、大正、昭和そして平成とさまざまな価値観が錯綜し、美術界にあっても、時代と共に新しい様式が生まれ多様な展開を示してきました。しかし、その間も彼は、そうした流れにもかかわらず、ほとんど毎日絵筆をとり続けてきました。世評に惑わされることなく、自らのテーマを一途に追い続け、「描く」という行為のなかに自分自身の歓びを見出すという、そのことによって、他の人が到達できない独自の絵画世界を築きました。